East West Center、青春の想い出(’63-’65、矢野安剛)

  • 2021.6.18

EWC3期生としての勉強は半世紀以上も前になる。ハワイ諸島の歴史の旅、本土の東海岸の歴史探訪バス旅行、本土の大学での勉強など、設立間もないEWCにアメリカ政府は寛大であった。Aloha spiritに満ちた、世俗化前のハワイの人々とHale Manoaから見渡すホノルル市街で点滅する青い灯が懐かしい。

3か月目の11月、世界が敬愛する理想と希望の星John F. Kennedy大統領が暗殺された。Arlington国立墓地に佇む5歳のCarolineが哀れだった。後の駐日大使である。翌年2月、ハワイ大学のAndrew野外劇場で情熱的な演説を聴いたRev. Martin Luther King, Jr.も凶弾に倒れた。半世紀後の今もBlack Lives Matterなのである。  

同年5月には皇太子ご夫妻(現上皇・上皇后)がメキシコ訪問の帰途、立ち寄られた。Japanese Gardenで親しく言葉を交わしたが、面影に憂があった。侵略戦争を起こした自責の念に苦しむ昭和天皇を見て、私の代で終わらせねばと内外の戦没者にお詫びの旅を続けられた。被侵略国の怒りにもかかわらず、心無い政治屋どもが靖国神社に参拝していることにも心を痛めておいでだったのだろう。2018年、瑞宝小綬章を受勲した際、皇居で拝謁した。陛下にはご退位前の最後の行事だったが、すでに憂の面影はなく、穏やかな表情であった。

2010年のEWCA 50周年大会で、EWC職員として采配を取っていたのがMaya Kassandra Soetolo-Ng、第44代大統領Barack Obamaの妹である。Obama大統領の父親はケニヤからの留学生でHale Manoaに住んでいた。   

半世紀が経ち、留学生には母親だったMrs. Sumi MakeyとMrs. Rose Nakamura、grantee仲間でEWCに勤めたLarry SmithやGordon Ringもあの世に引っ越してしまった。長生きすることの代償か。  

コロナ禍や ハワイは 遠くなりにけり